冬期はアイススケートやカーリング、冬期以外はインラインスケートやフットサル、その他イベントなどにも利用可能な多目的施設です。国際規格の屋外スピードスケート場としては、西日本随一の競技場です。ぎふ清流国体のスケート競技会場となりました。
武並町竹折にある、JR東海中央線の駅です。名古屋まで約1時間の距離にあります。平成20年に現在の駅舎に新築され、南口も設置されました。自動改札機はありませんが、簡易TOICA改札機が設置されています。
江戸の日本橋から埼玉県、群馬県、長野県、岐阜県、滋賀県、京都を結ぶ中山道は、江戸時代の五街道の中でも最も長く69の宿場がありました。大井宿から大湫宿への道中に武並町があり、姫御殿跡、乱れ坂、ぼたん岩、藤高札場、深萱立場跡など当時の中山道の見どころも多くあります。
中央自動車道沿いの丘陵地帯にあり、近くには恵那山、かなたには中央アルプスが望める閑静で緑豊かな環境の中に自然と調和が図られるように設計、配置された工業団地です。現在14の企業が操業しています。
たけなみマレットゴルフ場は、平成12年に町民の健康づくりと交流の場として開場しました。コースは起伏にとんだ36ホールです。交通の便の良さ、コース整備、周りの環境の良さ、休憩所やトイレの整備の良さなどで、多くの来場者でにぎわっています。
江戸末期から俳句が盛んで、たくさんの歌碑が残されており、それらの歴史遺産を整備、保存を町ぐるみで取り組みをしています。その一環として観光協会が中心となって、深萱休憩所に俳句ポストを設置して、道行く方の俳句を募集しています。
武並町竹折の太霊道跡地に散策コース、たいれいロードパークが整備されています。散歩をしながら、四季折々の景色を眺めていると心が癒されます。
名古屋市を起点として、北東へ大曾根から恵那市の「中山道」槇ヶ根追分に至る約15里(約60km)の街道です。古くは、日本武尊が東征の帰路にこの道を通り、明治13年(1880年)には明治天皇も便利なこの道を巡行されたように、歴史ロマンに満ちた街道です。
霊術家。武並町出身。1900年に上京し大蔵省印刷局、内閣統計局の職員となりました。翌03年に日露戦争を主張し天皇に直訴、逮捕されました。その後、山籠もりと断食修行の末、霊術「太霊道」を創始。拠点とした武並町で郵便局と駅の誘致に尽力した。29年名古屋市内で45歳で病死しました。
岩村城主の命によって、領内に建立された七社の一社。社伝によると建武2年(1335年)8月創建。その後幾度か再建されています。保存棟札の古いものは貞亨4年(1687)と記されています。祭神は、大己貴命(大国主尊)、少名彦命、應神天皇が祀られています。
祭神は、大己貴尊(大国主名)、少彦名尊(医薬の神)、應神天皇(国作りの神)。社伝によると建武2年(1335)の創建とされています。古代より巨石崇拝の地に、岩村城主の命により、武並七社(岩村、大井、竹折、野井、佐々良木、藤、久須見)の一社としてここに創建されました。
道沿いにある新明神社の前に並ぶ俳句、和歌などが刻まれた15個の句碑(歌碑)。芭蕉の「山路来て何やらゆかし寿美連草(すみれそう)」の句碑などが残されています。
武並コミュニティセンターは、地域住民の生涯学習の場として、人づくり、地域づくりの拠点になることをめざし、平成18年完成しました。集会室、会議室、和室、調理室、図書室があり、92台収容の駐車場もあります。施設の周辺には、550本の苗木が植えられ、四季折々の豊かな緑陰を楽しめます。